これってジェンダー?

もしかしたらこのジェンダーにとらわれているのは、私なのかもしれない。
ジェンダーということが何を意味している言葉なのか、それ自体考えたこともないというのが確かなところなのだけれども。でも、私がこの女性ということにとらわれ過ぎているのかも、と思うと同時に、もしかすると私がうつ病になった理由もここにあるのかと思えてくる。


私が仕事を始めてからも夕ご飯を作り続けていたことに対するダンナの考えというのは、「壊れなければいいのだけれど」ということだったらしい。
確かに私は自分が食べたいと思えるものが自分が家で作ったものだからそうしていたと言ってしまえばそれまでかもしれない。でも、そこに、きっとダンナもそうに違いないと思っていたというのもまぎれもなく私の気持ちで。
それなのに、「壊れるくらいなら作ってくれなくてよかったのに」こういわれてしまうと私の気持ちはなんだったんだろうかと思ってしまう。
確かに作っていたのは自分が食べたいものが外食ではなく自分が作ったものだから。そうもいえると思う。でも、果たして仕事から帰っても夕食を作っていた自分というのはそれだけだったのか?そう問いかけるとそうではない自分がいる。
やっぱり、単純にはいえない妻としての自分がいるからだと思う。そんな妻としての立場で自分が壊れるくらいなら妻という立場など気にしないでいてくれた方がましだというダンナの考えもわからなくはない。
でも、やっぱり少しはこの私の気持ちをわかって欲しいとも思う。


夕食なんて作らなくてもいいんじゃないの?
この言葉が持っている意味はダンナが思って言ってるのと、私が受け取るのとでは意味が違っているらしい。
確かに、夕食なんて作らなくてもどうってことはないのかもしれない。夕食を作るのが当然だと思っているダンナが多いと思われる今日この頃、こんな風に夕食作りをしないことを推奨するダンナなんて滅多にいないこともわかっている。
でも、、、結婚して10年。実際うつで夕食なんて作れなかった日が6年。作れたのはたったの4年。そう考えれば、確かに作らなかったとして何がどうなる訳ではない。
そんなことはわかっている。

夕ご飯なんて作れなくったって生活はどうにかなる。
わたしが一生懸命夕ご飯のこと考えても、結果そのことで調子を崩すくらいなら考えない方がいいこともわかっている。
でも、やっぱり私は女性なんだ。妻なのだ。
夕食なんて、ご飯なんてお互い外で食べればいいのじゃないか?そう言われればそうかもしれない。
私が作るのが本当なんだ、そう思っているのがダンナではなく私なんだともわかっている。
でも、私にはそう思えるんだ。


なんでそう思うのか?そう言われてもわからない。
自分が外で働いて、それでダンナに迷惑をかけてしまっているそうおもってしまう。
本当なら、家でダンナが帰るのを待って夕食を作って、家のことをして、、、、そう思っている。


今の仕事のことにしても、ダンナが今後どういう身の振り方をするのか、そのことで自分の身の振り方を決めようとしている自分がいる。
ダンナが職場を変わると言うのであればついていこうと思っている。
でもダンナには私がしたいことを止めてついてくることが負担だと言う。
だけども私からすると、ダンナについていこうと思ったからこそ結婚したのだ。
なのに、、、ついていくことが負担だといわれても困ってしまう。
私が大学院へ進学することへ戸惑っていること、このことも結局自分ではどうなればいいと思っているのか?と聞かれる。
どうなればいいかなんて、自分にも本当はわからない。
というよりも自分一人で決めていいことなのかどうかわからない。
この年齢で院へ行っても学位が取れるのは40過ぎてからだろう。それからも研究するポストを手に入れられるかと考えても、このポスドクの有り余る時代に職があるだろうか?しかも、ダンナと一緒に生活した上でと私の中では思っているので、ダンナがいる近くで探すことになる。そう思うと、かなりの確率で職は見つからないんじゃないかと思う。
でも、このダンナの近くというのは自分が決めていることで、ダンナが言ってることではない。なので、ダンナは私がこんなことを考えているのが負担らしい。

私は私で勝手に暮らして、仕事も日本中を視野に入れて、研究室も日本中を視野に入れて考えればいいのだろうか?
適当に考えるというのはどこをどう適当に考えればいいのだろう???




どうするのが負担ではないことになるんだろう。。。