小さい頃からの私の夢は、私の母と同じような「お母さん」になることだった。
子供が小さい頃は子供と一緒に公園で遊び、私がそうしていたように「もう一回、もう一回」と言ってはすべり台を滑る我が子と公園で遊ぶ。子供が大きくなったら子供を「いってらっしゃい」と言って見送り、「お帰り」と言って迎える。母と同じように子供のその日のことを「うん、うん」と言って聞きながら夕食の支度をする。
だけど、高校生になった頃の私にはいつの間にかもう1つの夢があった。それは研究者になることだった。「生きている」というのは生物的にどういうことなのか。心臓が止まれば死んだことになる。だけど、化学的に見ると体を作っているものは死んだからといって急に大きく変わる訳ではない。では、「生きてる」というのはどう言うことなのか。
二つの夢を持っていた私は、大学から大学院に進む時にすごく悩んだ。それは1つのことを始めると周りが見えなくなるほど夢中になってしまうという自分の性格を知ってたから。もし、大学院に行けば研究者になるという夢に向かってきっと夢中になるんだろう。でも、その時には「お母さん」になるという夢はもしかすると叶わないものになるのかもしれない。そう思ってたからだ。結局自分の中で決めきれなかった私は、大学院の試験に受かっていたのに、大学の卒業式の当日になってから大学院に行かないことを決めた。卒業式の後、教授の先生に大学院にはあがらないことを告げた。
大学院に行くことにしてた訳だから就職など決めてなんていなかった。取りあえず、実家に戻り塾の先生を始めた。だけど何だか物足りない。塾の先生を結局3ヶ月くらいで辞めてしまった私がやり始めた仕事は、近くの大学での「研究補助員」だった。研究者になるのをやめて、普通にお母さんになろうと思っていたのに、やっぱりやり始めたことは研究だった。だけど、その研究補助員をやっていても、やっぱり物足りない。「自分はこんなことがしたかったのだろうか?」行き帰りの電車の中でいつもそう思っていた。やっぱり何かが違う。
「お母さん」になるにはまず結婚しないといけない。でも、その当時、別に付き合ってる人がいる訳でも何でもなかった。それなのに、「お母さん」になりたくて、研究をやめてしまうのはある意味おかしいのじゃないか。研究者を目指してやっていて、それでも好きな人が出来て、付き合うようになって、その時に「研究者」と「お母さん」どっちになるか決めればいいのではないか?そう思えるようになるのに1年半ほどかかった。
それからもう一度大学院への勉強を始めて、無事合格した。大学生の時とは違う学科で「発生生物学」を専攻することにした。教授の先生に将来どうなりたいのかと聞かれた時も、「大学に残って研究を続けるか、研究所の研究員になるか、とにかく研究者になりたい」と言った。あの時は本当にそう思っていた。でも、将来どうなるかなんて本当にわからないもので、やっと研究者になれるよう勉強を始めたばかりだったのに、同じ研究室の先輩と付き合うようになった。私はこの人と結婚するのかな?と思うようになった。大学院に入り直して、まだ半年しかたっていなかった。結婚するのか?研究者を目指すのか?いろいろと考えた。世の中には両方をやってる女性の研究者もたくさんいる。でも、私は両方上手にやってくほど器用ではないことは自分が一番よく知っていた。結婚せずにそのまま研究を続けて、研究者になることも選べるはずなのに、あの時の私は「今、もしこの人と結婚しなかったら私は一生結婚などせずに1人なのかもしれない」と思っていた。それはそれで、すごく怖かった。私はずっと1人のまま生きていけるほどきっと強くもない。そうなれば「お母さん」にもなれない。「お母さん」になるために結婚する訳でもないけれど、それも怖かった。本当にいろいろと考えた。そのうち、その先輩はその研究室の助手になった。プロポーズもしてくれた。「結婚しよう」私はそう決めた。この人が研究者として成功するのを支える人になろう。そして、私は「お母さん」になろう。そして、結婚した。大学を卒業する時からいろいろと悩んで、4年間たっていた。でもやっと自分がどう生きていくのかが決められたような気がしていた。すごく幸せだった。結婚して、そのうち子供が出来て。。。自分のこれからをそう考えていた。
だけど、私は「不育症」だった。妊娠は普通に出来る。でも、お腹の中で子供が育たない。いつまでたっても大きくならない。「妊娠はしてるのにこの時期になっても胎児が見えないのはおかしい。おそらく流産だと思います。」そう言われた。最初は言われてるその意味がよく分からなかった。妊娠すれば赤ちゃんはお腹の中で大きくなって産まれてくるものだと思っていた。だけど、違ってた。3回妊娠したのに3回とも同じことを言われた。「流産だと思います。」何が何だかわからなくなった。
大学を卒業する時からずっと悩んでいた「研究者」と「お母さん」。私はずっと悩んできたのに、ずっと悩み続けて、やっと「お母さん」になることに決めたのに、私は「お母さん」になんてなれなかったんだ。今まで真剣に悩み続けてた自分がばかばかしくなってしまった。いったい何を悩んでたんだろう、お母さんになんてどうせなれないのに。あんなに真剣に悩んだりして。。。いつの間にか私は自暴自棄になっていた。
もう3年以上も前のことになる。
結婚して子供が出来て、、、そんな暮らしは普通にやってくるものだと思っていた。外に出るとベビーカーを押した女の人がいる。子供の手をひいた女の人がいる。公園を見れば、子供を遊ばせている女の人がいる。私も普通にそんな女の人になれると、何の疑いもなくそう思っていた。だけど、そんな暮らしはなかなか私にはやってこない。うつ病になってしまって、ジャラジャラと10錠ほどのいろんな薬を毎日飲んでる私は、今はまだ妊娠することも出来ない。仮にうつ病今治ったとしても、妊娠できたとしても、その子が本当に産まれてきてくれるのかもわからない。だけど、最近になってようやく、いつか出来るかもしれない子供を待ちながらゆっくり暮らしていこうと思える日がある。毎日そう思える訳でもないけれど、時々そう思えるようになった。それまでは、ぼちぼちと大学に行きながら研究させてもらおう。そう思えるようになった。
そして、本当に時々にしか思えないけれど、もしかすると私はこうやって暮らしていきながら、そのうち「研究者」と「お母さん」を両方出来るようになるんじゃないかって。本当にたまにしか思えないけど、やっと自暴自棄でなくなり始めてきた。今となっては、真剣に悩んでたあの頃が懐かしい。