これまでのことを整理していくつもりで、書いてみようと思います。
私がうつ病で病院にかかり始めたのは、3年以上前で2002年の5月のことです。ですが、いろいろと思い返すときっと、うつ病になっていたのは4年以上前の2001年の秋のことだと思います。私が、すぐにイライラして腹を立てる。その腹のたて方が普通じゃない。毎日のように主人に暴言を吐く、暴力を振るう。そんな私をみて、主人が私を精神科に連れて行ってくれました。この時によく精神科に連れて行ってくれたなあと主人には感謝しています。
最初に行った病院は、精神科の入院設備もある大きな病院でした。待合室は暗〜い感じで、先生はかなり年配の男の人でした。診察に行ってもいっこうに気分はすぐれない。薬をもらって飲んでもいっこうによくならない。挙げ句にどんどん薬が増えていく。こんな状況をみて、主人がまた新しい別の病院に連れて行ってくれました。
次の病院は街中のビルの中にある精神科のクリニックでした。待合室は明るくて、ソファーがあって、その前の病院とは全く違っていました。でも、すごく患者さんが多く、待ち時間が1、2時間は当たり前といった感じでした。数回通院した頃だと思います。静かな病院でしばらく入院してみたらどうですか?と言われました。2ヵ所くらい病院を紹介してもらい、主人と両方の病院を見て回ったそうです。「・・・そうです。」と書いたのは、病院を見て回ったことを私自身は覚えていないからです。見て回ったことも覚えてない訳で、何を根拠にそう思ったかわからないけれど、そのうちの1つの病院に入院したいと主人に言ったらしいです。
そういう訳で初めて精神科の病院に入院することになりました。
始めは「任意」での入院で、開放病棟での入院でした。普通の内科や外科に入院してるように、別に何の制限もなく、ナースステーションのノートに記入すればいつでも外出が可能でした。そして、個室で、主人が付き添いで入院していました。
ですが、そんなある日、いつもの具合の悪さが襲ってきて、病院の駐車場でついに大暴れをしてしまいました。それを抑えるためにやってきた看護婦さん達にも掴み掛かって、暴言を吐き、、、私は「任意」から「強制措置」入院になっちゃいました。病棟の出口に鍵がかかっていて、自由には外に出られない閉鎖病棟でした。しかも暴れまくるので、閉鎖病棟でも特別な「保護室」というところに入れられてしまいました。鍵は外から厳重にかかっていて、部屋の中はたたみ一枚の上に布団がひいてあって、あと、トイレがあるといった大変シンプルな部屋です。入れられて5日目くらいからようやく落ち着き始め、結局1週間入れられていました。その後1週間普通の閉鎖病棟に入院して、退院になりました。
このあとはまた、入院前に通院していた精神科クリニックに行く予定だったのですが、このクリニックの先生が診察中に貧乏揺すりしたりするのが、どうしても気に入らなくて、
入院していた病院に外来としていくことにしました。高速道路を通って1時間弱もかかるのに、主人が2週間に一度連れて行ってくれました。ここで、32条のことを知り、適用になりました。
2年ほどこの遠くの病院に通っていました。ですが、ある日何がきっかけでそうなってしまったのか、突然リストカットしてしまいました。なぜそんなことをしたのか全くわからないのですが、ただ、自分の手から流れる血を見て変に楽しかったのを覚えています。主人と、ちょうど来ていた私の両親に連れられ近所の外科に行き7針縫ってもらったのですが、家に帰ってから、もう一度無性に血を見たくなって、せっかく縫ってもらった糸を自分で切ったことを覚えています。
こんなことがあり、私は2回目の入院をすることになりました。