うちの母親は、父の仕事が不規則なことなどもあって、結婚してからはずっと専業主婦。そんな母によく言われることがある。「別に何かにならなくちゃって、そんなに頑張る必要ないのよ」
私は小さい頃から、「自分は将来何になりたいのか」よく考えていた。自分ではそんな自分のことを、考えすぎだとはこれまで一度も思ったことなどなかった。男の人は学校を卒業すると、ほとんどの人が当然のように就職する。結婚してもほとんどの人が当然のように仕事を続ける。続けると言うより、家族を守るためどちらかというと男性には仕事は義務のようなものになる。でも、女性は違う。学校の間は男だから、女だからなどと関係なく、将来の夢は?などと聞かれる。だけど、大学に入る頃から少しずつ何かが違ってくる。大学院にあがる頃になると本当にだんだん違ってくる。私が修士課程に進学したいと言ったとき母が言った言葉は、「仕送りや授業料は一切払えないけど良いの?」だった。私には姉はいるけど、兄はいなかったので、母は単に経済的な問題で言っているのだと思っていた。私が通っていた大学では修士課程の入学試験で上位にはいると、奨学金がもらえる。大学には寮があって、8畳間に2人ではあるが、光熱費など混みで、月に8000円で入れる。無駄遣いさえしなければ、奨学金がもらえれば十分に大学院に行けるようになっている。試験を受け、合格はしたのだけど、残念ながら奨学金はもらえなかった。いくら合格してもお金がないのだから、進学はとりあえずあきらめることにした。
卒業後、私は大学の研究補助員として働くことにした。でも、毎日私の頭の中を回っていたのは「こんな仕事が私はしたかったんだろうか?」だった。私は補助じゃなくて、研究がしたかった。やっぱり、大学院に行きたかった。2年後、もう一度大学院入試に挑戦してみることにした。これでも奨学金がもらえなかったら、自分は向いてないんだとあきらめよう。そう思って、数ヶ月間、毎日毎日 一日中勉強した。そして、今度は奨学金ももらえることになった。寮への入寮許可ももらえた。これで大学院に行ける。すごくうれしかった。でも、この年、弟も大学院に進学した。母は、そんな弟には、大学時代と同じように仕送りをし、授業料も払ってあげていた。母が、仕送りや授業料の支払いは無理だと言ったのは、経済的な問題ではなかった。私が、女性だったからだった。弟の合格には「おめでとう」と言っていたが、私には一言も「おめでとう」とは言ってくれなかった。
女性が、そんなに大学院まで行って、研究ばかりして、一体どうするのか?と言うのが母の考えだった。結婚すれば「家庭を守る」ことが主婦の仕事だと母は思っている。それも間違いではないと思う。私だって結婚もして、子供も産みたいと思っていた。でも、小さい頃から考えていた研究者になると言う夢も捨てたくなかった。大学院には入ったけれど、私は結婚したいと思える人とも出会えた。ただ、その相手が同じ研究室の先輩(今の主人)だった。私は出来れば研究もして結婚もしたかった。でも、指導教官の先生はそれを許してはくれなかった。しかも、当然のように辞めるのは私の方だった。私だって、中途半端な気持ちで研究者になりたかった訳じゃない。確かに結婚して、一家を支えるのは男性の場合が多い。だけど、そんなことだけで、辞めないといけないのが私だと決まるのはどうしても納得がいかなかった。大学院の卒業式の日、大学4年生の時に合格はしていたけどあきらめたこと。もう一度頑張ろうと決めたときのこと。結局修士課程の2年間で辞めることになったけど、自分なりに頑張ってきたこと。いろんな思いがいっぱいになって、研究室から家までの帰り道、涙が止まらなかった。
最近、年を取っちゃったのかなあ???やたらと昔のことを思い出してしまうことが多い。