ストレス

私がうつ病になった元々のストレスは、もうここには何度も書いていることだけど、
「3回の流産により、3人の我が子を失ったことによる喪失感」
そして、
「初期流産だったため他の人には我が子の喪失ということが理解されなかったこと」。
これがもとになって、うつ病になったはずなのに、うつ病になってしまった今の私には、他のストレスまでうつ病に悪影響を及ぼす。


例えば、、、研究である。
研究をしていれば、実験がうまくいかないということは大変よくあること。
これも確かにストレスとも言えるが、うつ病になる前の私には、このストレスはどちらかと言えば楽しみとして受け入れることの出来るストレスだった。
しかし、今は違う。楽しみとして受け取る、受け取れない、、、以前にうつ病が悪化していく。
このため、今の私には研究をするということは医師から禁止されている。
そして、徐々に研究できるような私に戻れるように練習しているところである。


そういう経緯があって、今研究補助員という仕事をしている。
この仕事は、研究室で実験はするけれど、実験がうまくいかないというストレスが全くと言っていいほどかからない。


昨日の仕事内容でも、電気泳動して欲しいというサンプルを渡される。
どれくらいの大きさのバンドが出るはずということはその時に教えてもらえる。
しかし、教えてもらっていることはそのことだけだ。
そのため、昨日は結果としてそのバンドは検出されなかったのだが、だからといって、私が技術的に電気泳動を間違ったのでなければ私にはストレスはかからない。
実験がどうやらうまくいっていないらしい。このことは私には分かる。
でも、なぜバンドが出なかったのか、今後どういう実験を組んでいけばいいのか、、、出た結果をもとに考え、悩むという作業がないからだ。
今の仕事は「ただ言われたままに手を動かす」という種類の仕事で、ではこの先どうすればいいかを考えることは仕事ではないからだ。


これだと私は精神的にとっても「楽」である。
しかし、「楽」だからといって、この仕事が「楽しい」かと言われればそうではない。
本来、ある程度の精神的ストレスがかかっても、そのストレスを半分楽しみながら研究をやってきたいと思っているからだ。
出た結果に対して考え、時にはどうしていいものか途方に暮れることもある。
大学院時代だと、指導教官に結果と、自分なりの考えを持っていく訳だが、指導教官との議論の中で自分なりの考えの甘さを感じ、ちょっぴり凹んでしまうということもあった。
だけど、私はそんな生活が好きだった。なによりも「楽しかった」のだ。
いつも部屋のドアを開けていて、いつでも私たち院生の未熟な考えと付き合って下さった恩師だが、本当にこの恩師との議論というものは楽しかった。
直接実験とは関係ないサイエンスの話題を肴に、先輩方と夜中にお酒を飲むのも楽しかった。
一人前のように自分の考えを言ってみては、もうずっと上の先輩に「お前はまだ未熟ものだなあ」と言われたり、たまに「お前もなかなか的をえるようになったな」と言われてみたり。


指導教官とともに考えて、実験を組み、実際に実験を行い、うまくいったときの喜び。
実験をやりながら、徐々にデータ同士の矛盾が解けていき、本当の真実に出会えるときの楽しさ。


懐かしい出来事だ。
もう何年こういったことからはなれて過ごしているんだろう。
うつになって6年だから、単純に6年は遠ざかっていることになる。


人の研究の補助ではない「自分の研究」をまたやることは今の自分にはまだ難しいことはよくわかっている。
なによりもまず、「考える」ということが私の頭にはまだ負担な出来事だから。
少しずつ今練習をしているところだけど、「自分の研究」をするには私の頭は多分まだ役には立たないだろう。
しかし、私は諦めている訳じゃない。
年齢に伴わないほど低いレベルの経験や知識しか持っていないけれど、でも私は諦めているわけではない。


いつかまた、研究のストレスを心の底から楽しみながら、でも悩んだりしながら過ごす生活がしたいから。


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